赤罫 甲斐武田氏



小見出し



 「甲斐二十二将」というものがある。徳川将軍11代家斉のころ甲府の内藤某が書き留めたものである。それには「板垣、甘利、両角、飯富、原加賀、小山田備中、日向大和、小宮山丹後、原美濃、小畠山城、横田、多田、山本、米倉丹後、三枝虎吉、高坂、内藤、馬場、山県、甘利晴吉、秋山、土屋昌次」の二十二人が記されている。
 一般にいう、武田二十四将は個人所有や寺社に奉納された画像だが、信玄を中心にしたものと勝頼を中心にしたものの二種類がある。家臣の組み合わせがそれぞれ違っているのは、末孫が家系を誇示するためか、先祖を二十四将の一人に仕立てて描かせたものを、奉納したり子孫に伝えたからだが、原典は「甲斐二十二将」であろう。
 しかし、いずれにしても、それぞれの武将が信玄を援けたことは間違いはない。また、子孫にあたる者が先祖を誇って画像として残したことも、うなづけるところである。ここでは、一般的に言いならされている二十四将を取り上げた。
・武将名をクリックしていただきますと、詳細情報にリンクしています。

・武田左馬助信繁

・武田刑部少輔信廉

・穴山玄藩頭信君

・板垣駿河守信方

・甘利備前守虎泰

馬場美濃守信春

山県三郎兵衛尉昌景

高坂弾正忠正昌信

・一条右衛大夫信竜

内藤修理亮昌豊

・飯富兵部少輔虎昌

・真田弾正忠幸隆


・土屋右衛門尉昌次

・小山田兵衛尉信茂

・秋山伯耆守信友

・原美濃守虎胤

・真田源太左衛門尉信綱

・小幡山城守虎盛

・原隼人佑昌胤

・多田淡路守満頼

・横田備中守高松

・小幡豊後守昌盛

・三枝勘解由左衛門尉守友

・山本勘助入道晴幸
●太字は信玄四名臣といわれた四将


トップ バック

戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
由来ロゴ
家紋イメージ