後瀬山城は丹後街道を見下ろす後瀬山上に、大永二年(1522)、
若狭守護武田元光によって築かれた中世山城である。北方の山裾には守護館が構えられ、
元光以後、代々の若狭武田氏の本拠となった。
武田氏は後瀬山城を本拠に小浜湊を拠点に海外貿易を行い威勢を振るったが、末期には一族や家臣の離反にあい、
勢力を失っていった。永禄十一年(1568)、ときの当主元明は朝倉氏によって越前へ拉致される有様となった。
その後、元明は小浜に復帰したが非力な存在にすぎなかった。天正十年(1582)、本能寺の変が起こると、元明は光秀に加担して家名挽回を図ったがならず、近江海津で自害して武田氏は滅亡した。その後、慶長五年、若狭へ入部した京極高次が小浜城を築くと、後瀬山城は廃城となった。
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