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安武氏
●剣梅鉢
●菅原氏流高辻家分流


 戦国時代の筑後において、海津城に拠った安武氏の名が史料に散見する。『歴代鎮西志』に拠れば、永正五年(1508)、安武鑑教が海津城に入部したとある。一方、永正四年(1507)河内国大県郡より茨木重政が安武にきて海津城を築き、三潴郡内拾五ヶ村を支配下に置いて名を安武安房守鑑教と改めたとする説もある。そして、鑑教の鑑は大友義鑑から一字を賜ったもので、義鑑の従弟女を室に迎えたと伝えている。
 しかし、大友義鑑が父義長から家督を譲られたのは永正十二年の暮れのことであり、河内国から筑後に下向してすぐに大友氏の厚遇を受けたとは考え難い。おそらく十五世紀のころより、三潴郡内に一定の勢力を築いていたと考えた方が自然だ。ちなみに、『歴代鎮西志要略』には、延徳三年(1491)にすでに安武の名前が登場しており、蒲池親久の子の親則が別名安武右京亮と称したとする系図もある。これらのことから、室町時代の筑後において、安武姓を名乗る武家がすでに存在していたものと考えられる。

安武氏の活動

 ところで、安武氏は菅原氏流といい、柳川藩に仕えた安武家に伝わる系図によれば、菅原氏流高辻家から分かれたとなっている。そして、高辻から菅、ついで荊と名字を改め、鑑政のとき安武を名乗ったと記されている。鑑政は先の鑑教と同一人物と思われ、安武氏の始祖とされている。『海津城主由来』には、「」河内国大掛郡(大県郡?)を知行していた茨阿波守菅原朝臣鑑政が、永正五甲辰年弐拾五歳にて筑後国安武海津城に入部し、安武と号したとある。いずれにしろ、安武氏は鑑政=鑑教の代より歴史に名をあらわしたということであろう。
 安武本村寄居大明神の天文十六年(1547)の棟札に安武安房守菅原鑑教の名がみえ、『歴代鎮西志』の永禄七年(1564)に、安武山城守鎮教(鎮則)が貝津に居りと記されている。鎮教は『海津城主由来』に鑑教の後を継いだ民部少輔重乗と同一人物と思われる。同年、大友義鎮が堤貞元を攻めたとき、犬塚、西牟田、蒲池等とともに安武氏も下田城攻めに参加している。
 やがて、肥前の龍造寺隆信が勢力を拡大してくると、永禄十二年(1569)、安武山城守鎮則は亀山一竿入道を使者に送って隆信に誼を通じている。元亀三年(1572)、安武鎮則は赤司志摩守家貞を攻めたが、龍造寺隆信の支援を得た赤司氏によって鎮則親子は殺害されたようだ。というのは、天正二年(1574)夜明村の領主として安武民部少輔鎮教の名が見え、翌天正三年、安武鎮教は海津城追われて大友家を頼って豊後へ去ったというのである。天正四年に海津城は龍造寺方の横岳頼次の手に渡り、以後、鎮教の名は見えなくなる。
 その後、安武民部大輔家教(前の名 山城守)が天正七年(1579)にあらわれ、天正九年には貝津城に安武豊前守鎮家がいた。ついで、天正十三年には安武次郎三郎家綱が鍋島政家に血判起請文を提出している。このように、安武氏の人物が諸記録に散見するが、それらは断片的で、名前も混乱をみせており、安武氏の動向を把握することに困難さを生じている。そして、安武河内守鎮則は慶長二年(1597)に死去したことが『大分寺過去帳』から知られる。ちなみに、大分寺は安武河内守鎮則の菩提寺である。

その後の安武氏

 ところで、大友氏の重鎮で立花城城主として大友氏の筑前・筑後支配を担った立花道雪は、安武鎮教と離別した妻(一説には妹)仁志姫を継室に迎えたという。そして、仁志姫の連れ子(鎮教の子?)である、道清、方清、於予志を養子とした。ここに、安武氏は立花氏と姻戚関係になったのである。
 仁志姫は問註所鎮連の娘とする説が有力で、安武鎮則が大友氏に叛いて龍造寺隆信に従ったのち、鎮連は仁志姫を引き取り戸次伯耆守鑑連(立花道雪)に再嫁させたという。道雪に引き取られた子供たちは、江戸時代、柳川立花藩に仕えて安武氏の流れを後世に伝えた。
 一方、『海津城主由来』には、安武氏の初代という阿波守鑑政は天文十九年(1550)に死去し、嫡子民部少輔重乗があとを継ぎ、民部少輔は弘治二年(1556)に死去した。そのあとを継いだ安右衛門尉は天正四年に肥前龍造寺氏に攻められ、叔父の右馬助政乗は戦死し海津城は落城となった。安右衛門尉は黒木弥市郎の居城へ逃れ、安武氏は没落したとある。
 その後、龍造寺氏、大友氏ともには没落の運命となり、肥前は田中吉政に与えられた。安武氏の一本系図によれば、安右衛門尉の長男安信は田中氏に仕え、庶子の弥十郎は立花氏に仕えたという。・2005年3月3日

【参考資料:・安武氏と海津城・安武町の史跡・筑後将士軍談 など】


■参考略系図
・尊卑分脈、久留米市立図書館蔵書などから作成。


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