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陸奥寺崎氏
三つ柏*
(奥州葛西氏の一族)  
*寺崎の家紋は不詳。旧桃生町にある寺崎八幡神社は寺崎氏の居館跡に建立されたといい、その神紋は「丸に五三の桐」との情報をいただいた。八幡神社で桐紋は珍しいが、寺崎氏の家紋を神紋とした結果であろうか?  


 奥州千葉氏の一族。下総国印旛郡葛西庄寺崎が発祥地と伝わるが、印旛郡内に葛西庄があった形跡はなく、下総国葛西庄内の寺崎城が発祥の地と思われる。
 葛西氏の一門で、のち葛西氏にしたがって奥州に下った。桃生郡寺崎に沢山城をかまえて栄え、子孫は代々葛西氏の重臣を務め、応仁の動乱期には寺崎下野守が家老として活躍したことが知られる。
 永正四年(1507)九月、金沢冬胤が反乱を起こしたとき、寺崎下野守時胤は日形城主・千葉秀胤らとともに金沢を攻めたが討死してしまった。このとき、宗家にあたる千葉秀胤も四十一歳の若さで戦死。峠城は空き城となってしまった。一方、寺崎家は時胤が戦死したため、五郎三郎重清(時継)が跡を継ぎ、峠城を抑えた。そして永正七年(1521)にいたり、金沢冬胤を討ち取って仇を討ったものの、同年、葛西太守重信が攻めてきて、石見守茂継が戦死している。時継には子がなく、宿敵・金沢氏から吉次が養子に入り寺崎氏を継いだ。これは、おそらく太守・重信の命による養子縁組だったかと思われる。
 天文十三年(1544)八月、金沢胤正は太守・葛西家に反乱を起こし、葛西高信に討伐された。このとき寺崎吉次は葛西軍に従ったようだ。この戦で実家の金沢家が滅ぶと、寺崎家は流二十四郷の旗頭となった。しかし、天正十年(1582)、寺崎良次は戦死してしまい、ついで正次が峠城主となった。
 天正十八年(1590)、秀吉による奥州仕置となり、奥州に攻めてきた秀吉軍を迎え撃った葛西家は滅亡。寺崎刑部大輔信継も流郷の総大将として出陣し、奮戦の末に戦死した。この時、寺崎信継にしたがった流郷の豪族としては、日形城主・千葉大学胤弘、下油田城主・千葉越前守道胤などが見える。

寺崎氏の系図

 峠城主・寺崎家には大きく「葛西氏流」と「千葉氏流」の二つの流れを持つ系図が伝わっている。

●千葉氏流寺崎系図
千葉胤資(越中守)−胤時(下総守)−寺崎胤継(刑部)−五郎三郎−時胤(下野守)−時継(五郎三郎)=吉継(石見守)−正継(刑部)−信継(刑部)−貞継(木村)

●葛西氏流寺崎系図/
寺崎清氏(伊勢守)−清基(兵庫)−清連(宮内亮)−常清(刑部大輔)−倫重(下野守)−重清(五郎三郎)=吉次(石見守・良次)=正次(刑部)−貞次

上記、二つの系図では、いたい同じ世代に「官途名」「通称」をとなえていることが分かる。つまり、この二つの系図には何らかの関連があると考えてよさそうである。少なくとも、「千葉系図」の時胤以下は同一人物の事を言っているとみてよさそうである。
 葛西氏流系図にある「重清」は永禄中の人物で、岩淵甲斐守重良の娘を娶った。生没年がはっきりしないが、48歳で出家して「竜西」と称したようである。重清には子供がなく、金沢城主の金沢下総守良通の三男・良次を養子として迎えた。重清の側室が、金沢通次の娘で良次の伯母にあたるところから養嗣子として迎えたものか。天正十九(1591)年、秀吉による奥州仕置きのときに反抗した寺崎信次は良次の子で、同じく出陣した金沢伊予守信胤は良次の実兄である。彼らは戦いに敗れ、八月十四日、桃生郡深谷糟塚において自刃して果てている。


●寺崎氏の後裔の方から

 母方の実家が葛西家臣寺崎氏の後裔という水戸在住のM氏から、寺崎氏に関する情報をいただきました。
 「平成の大合併」により宮城県石巻市に組み込まれた桃生郡桃生町に寺崎という地名が残っていて、その寺崎地区には寺崎八幡神社という神社があり、寺崎八幡神社は「沢山城」という寺崎氏の居館の跡とのこと。その寺崎八幡神社の紋が「丸に五三の桐」で、M氏の母方寺崎氏も「丸に五三の桐」を家紋とされているそうです。また、永正年間、寺崎氏が流荘、今の岩手県西磐井郡花泉村一帯の邑主として現地に赴いた際、一族の寺崎伊予守を寺崎に残し、その末裔を称する「寺崎さん」が桃生町には今も多くいらっしゃるとのことです。
 戦国末期の寺崎刑部正継は葛西大崎一揆の際に伊達政宗の謀略により殺され、正継の子貞重が木村姓を名乗り伊達忠宗に仕え召出七百石という扶持をもらった。そして、いつのころからか復姓して寺崎を名乗るようになったそうです。

・寺崎八幡神社の神紋「丸に五三の桐」



■参考略系図
 
  


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