犬塚氏
三つ巴
(宇都宮氏流蒲池氏流)
*掲載した家紋は宇都宮氏のもので、
 犬塚氏そのものの家紋は不祥。

 犬塚氏は下野宇都宮氏流で、蒲池、大木、城島、酒見氏らと同族で、筑後国における有数の豪族であった。蒲池義久の子家貞が、三瀦郡犬塚に住して犬塚を称したことに始まる。のちに佐嘉郡川副郷に住した。明応年間の頃、肥前国神埼村に移住した。
 家直には五人の男子があり、家直・家重・家種・家久・家喜で、それぞれ小弐氏の部将となった。家直は崎村にいて東犬塚を称し、家種はこれを補佐した。家重は蒲田江に住して西犬塚を称した。そして、家久は別に直鳥に城して直鳥家と呼ばれ、あわせて三犬塚氏と称された。
 天文年間(1532〜54)、小弐氏に仕えていた家重は、小弐氏と竜造寺氏が敵対するようになると、これに反対の態度をとった。そして、のちに竜造寺氏隆信が勢力を拡大してくると、東西犬塚氏ともに隆信の部将となり、ともに竜造寺氏十九城将の一となった。しかし、永禄に至り、家重の孫(子とも)尚重は同族の崎村城主鎮直を誘殺し、尚重も自刃した。
 隆信は尚重の子を養って信尚と名付け、のちに茂続と改めさせた。そして、父鎮直の忠死を憐れんで、旧領を信尚に安堵している。さらに、信尚はのちに竜造寺姓を与えられた。 

■参考略系図