●引両紋
二つ引両は足利氏の代表紋。引両紋は幕紋からの転移といわれるが、その起源については明らかではない。『見聞諸家紋』によると、吉良、渋川、石橋、斯波、細川、畠山、上野、一色、山名、新田、大館、仁木、今川、桃井、吉見氏ら一族や閣僚メンバーがみえるほか、他紋と組み合わせたものに、赤松、三浦介、遠山、富永、長野、庄、吉川、波多野、神保、三淵、蜷川、川原、中沢、飯川、安木、大和、綺(Kawata)、黒坂、平尾、金山、物部、磯谷、三木、西面氏などの武将にみえる。
【丸の内二つ引両】
●藤紋
藤原庶流を名乗る武将の家紋である。加藤、佐藤。斎藤、近藤、首藤、進藤、武藤、尾藤、後藤…など庶流が用いた。『見聞諸家紋』では、讃岐の大野氏、摂津の伊丹氏、河内の由佐氏、美濃の伊賀氏、播磨の小寺氏、近江の箕浦氏などがみえる。『永倉追罰記』では、越中の神保氏、三河の鈴木氏その他がある。
【下り藤の丸】
●三つ星紋
三つ星は大将軍星・左右将軍星の三つを指すので三武、武神としての信仰がある。一文字はカツと発音するので武威をシンボル化して造成された。『見聞諸家紋』では、本郷氏、渡辺氏、饗庭氏。一文字三つ星は、長井・毛利・竹藤・萩・綺氏。三つ星に吉の字は毛利氏。三つ星に一文字は、渡辺・曽禰崎氏が用いた。
【三つ星に一文字】
●目結紋
近江の佐々木一族の代表家紋として有名。『見聞諸家紋』では、佐々木大膳大夫入道生観の四つ目結。二松・飯田氏の三つ目結。本庄氏の九つ目結、武藤左京亮信用が寄掛り目結、椎屋氏が四つ目結、本間氏が十六目結、能勢氏が丸に十二目結紋とある。なお、佐々木氏の流れといわれる宇多源氏の武将京極・建部・亀井氏らも四つ目結。近江を出自とする尼子氏が七つ割り平四つ目結。越中の佐々氏は滋目結を用いた。
【隅立て四つ目結】
●木瓜紋
もともとは海の彼方から渡来した貴族紋だが、武家社会に広く普及した。織田信長の家紋として有名だが、もとは朝倉氏の陪臣的家系だった。したがって朝倉氏も同紋。『見聞諸家紋』では、木瓜に二つ引両の富永氏、六つ木瓜の尾張守政長の被官遊佐河内守、二つ木瓜に庵の海老名与七政貞、並び木瓜の岩城中務丞宗直、五つ木瓜の宮氏、大平氏。さらに、四つ木瓜の八木氏、大田垣氏、池田充正。三つ盛木瓜に二つ引両の三木氏などがみえる。
【織田木瓜】

 文中にひいた『見聞諸家紋』は、一名を「東山殿御紋帳」ともいわれる通り、室町幕府八代将軍足利義政の頃の将軍家を初めとして、守護大名から国人層に至るまでの諸家二百六十ほどを次第不同に収録したもので、武家家紋の研究には欠かせない史料としてつとに有名である。
 また、『永倉追罰記』は『羽継原合戦記』ともよばれたもの。これの原典となる『永倉状』には家紋のことは記されていないという。しかし、紋章武将名についてみるとき、『見聞諸家紋』に比べて劣ることは否めないが、内容的に大過がないのではないかと考え、暫定的参考書にとりあげた。


■ 羽継原合戦記』を読む ■ 見聞諸家紋』を読む
地方別武将家 由来を探る
・別冊歴史読本-52号 故能坂利雄氏論文より引用

戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。 その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
由来ロゴ
家紋イメージ




応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋 二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
見聞諸家紋
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