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日本史上幾度かの動乱があり、その度に歴史は方向を変えた。ことに応仁の乱以降、こぞるように国人層の間からニューリーダー群が台頭してきて守護を倒すと、新しい庶民的体制が芽を吹いた。もっとも地方によっては、不発のクーデターに終わることもなくはなかったが、結果的には、プロセスを問うまでもなく、下剋上の風潮は避けるべくもなかった。 勝った者が正義をとなえ、血潮にまみれた敵の屍の上へ、自らの旗を掲げて己の世界を誇示した。紋章とはそのためのデザインだった。戦国時代という動乱のうねりのすべてまでを飲み込んだ。新しい秩序の幕あけに、新しい権力のシンボルとして、紋章はスポットを浴びた。 歴史の波間へ浮上したそれぞれの成り上がり者は、自らを正当化するため、長い雌伏の末、隠れたる名門の末裔が躍り出たと思わせる系譜を編み、紋章をもって粉飾の家門をたてた。 明らかな偽作が、まことしやかに世間を横行した。系譜のシンボルとでも言うべき紋章も、矛盾と変転を余儀なくされたのはいうまでもない。紋章の数もにわかに激増した。 戦国時代を振り返るとき、武威的紋章の拡充したのも大きな特徴であるが、武威的伝説をもって新興武家団の紋章起源を説明しているのも、かつて「風土記」で地名説話が物語られたように、創成期におけるひとつの傾向であったようだ。 戦国大名の系譜・紋章についての虚実を解明することは、いまとなっては容易なことではないが、各戦国大名家の紋章を眺めておくことにしたい。 ■各戦国大名家の紋章 [Part.1]
【→『羽継原合戦記』を読む】 【→『見聞諸家紋』を読む】
【別冊歴史読本-52号 故能坂利雄氏論文より引用】 |