薩摩執印氏
鶴亀*(惟宗氏後裔)
*鹿児島出身の執印さまから
 情報をいただきました。

 薩摩郡水引にある新田八幡社は、昔から朝廷の崇敬が厚く、その神域は鹿児島神社に劣らなかったことは、旧記によって知ることができる。
 新田八幡社の神人の棟梁に四家があった。すなわち、執印氏・権執院氏・大検校・千儀であった。文治年間に康友が新田宮執印職ならびに五代院院主に補され、執印(しゅういん)氏が新田八幡社の印を司ることとなって代々その職を世襲し、明治期まで務めた。
 これによって康友の子康兼が家号を執印と改めたという。本姓は惟宗氏であったとされる。しかし、執印家古文書に「建仁四年、宮里郷地頭散位紀正家」とあり、紀氏の出とも考えられる。
 南北朝期の文和三年の知色城攻味方交名注文に新田宮執印左衛門大夫の名がみえる。十五代友則は水引星原船手の船奉行を兼任した。友幸のころから鹿児島城下士となった。

■参考略系図