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葛西氏の隆盛と終焉


 葛西満信は詮清の五男の正嫡で、母は南部氏。陸奥権守。天性弓馬に達し、武略に長じ、奥州第一の名将と記録されている。異腹の姉が大崎探題詮持に嫁し、両家提携のもとがなることで家運興隆の機運に際会することになる。  応永七年(1400)、栗原郡三迫において、宇都宮氏広の謀叛乱を鎮定する大功を挙げた。宇都宮氏は奥州探題として下向し、仙道の四本松にいたのだが、明徳元年吉良満家が鎌倉に召還された跡を給されて、栗原郡に入った。その後、奥州探題間に確執が頻発し、鎌倉公方足利満兼の忌避にふれた宇都宮氏は、大崎持詮、葛西満信、戸橋棟義らに攻められて敗亡した。宇都宮氏誅滅の功により、三迫は葛西氏家臣富沢氏に配分された。かくして版図を拡大した満信は、葛西数代の名将は満信を第一とすと謳われるに至った。
 また、満信じは応永二十三年の「上杉禅秀の乱」では禅秀に味方をして鎌倉公方に楯突いてもいる。子の持信は父の"反鎌倉"に対し、鎌倉公方を助けている。しかし、永亨の乱で鎌倉府が壊滅すると自国へ帰ったが、間もなく、今までの友好国であった大崎氏と確執を起こし干戈を交えることになる。
 宇都宮領配分後、葛西氏、大崎氏が互いに支配領域を広げると、必然的に摩擦を生ずることになり、ついに合戦に及ぶようになったものであろう。葛西氏は居城も石巻から寺池に移し、大崎氏に対して臨戦態勢をとることになったのである。葛西・大崎の接点は栗原郡であった。両氏は毎年のように戦いを展開することになるが、葛西氏の方では、そのまま当たることの不利を考え、伊達氏と同盟を結び、その中間の敵大崎氏を討つという戦略をとった。この戦略は葛西氏の最後の当主である晴信まで堅持された。
 葛西・伊達両氏の同盟は、伊達氏の男子が葛西氏の跡を継ぐということによって補強された。満重の跡を継いだのは、伊達成宗の子宗清であったし、晴重の跡を継いだ晴胤*は、伊達稙宗の子であった。
 享禄四年、葛西太守の守信が死去する。そして葛西宗家の喪に乗じて、伊達稙宗が葦名盛舜の支援を得て、侵攻してきた。佐沼および新田方面が主戦場となったようである。この合戦の結果は葛西軍が惨敗し、東山小梨の西条景則、西磐井黒沢郷の黒沢信資ら多くの葛西氏家臣は討死を遂げ、黒沢氏のごときはそのために衰微したと家譜に伝えている。
 伊達氏による葛西侵攻の目的は何だったのだろうか。次期政権を担う守信の急死によって、葛西主流派家臣団の中に"反伊達"の機運が高まり、伊達家から入った晴清の相続の道が断たれ、それに対しての軍事行動であったようだ。合戦に勝利した伊達氏からの厳しい締め付けがあって、晴清が家督を継いだようだが、程なく伊達家では稙宗・晴宗父子が争う「天文の大乱」が発生、晴清は父の稙宗側へ、高信(晴胤)は晴宗方へ就き、互いに領内抗争を繰り返したが、天文十六年"大乱"の最中に晴清は三十前の若さで没した。
 葛西氏の家督は晴胤が継いだ、とはいえ、かれは晴清を後見するかたちながら実質上の太守であった。晴胤は将軍義晴の偏諱を受け、晴信と称したのは天文十六年五月であった。同年九月に晴清が早世し、"天文の乱"え勝利した伊達晴宗を支援していたことも幸いして、伊達家よりも正式の認知を受け、いよいよ家運を伸長した。
 最後の当主は晴胤の三男晴信であった。戦国末期はいずれも同じだが、葛西家にとっても内憂外患の時代で、外にあっては領界を隣接する大崎氏と競り合い、内にあっては巨大化した家臣団の抗争鎮圧に明け暮れた。このように葛西氏の領国経営は常に不安定で、家臣の内乱に悩まされ続け、結局、天正十六年の秋にやっと重臣浜田氏の反乱を鎮圧することに成功し、翌年には伊達・大崎両氏の間で停戦協定が結ばれ、伊達氏と同盟していた葛西氏にもようやく平和が訪れたかに見えた。
 その翌年、秀吉の小田原征伐があり、晴信は小田原遅参のゆえをもって所領を没収されてしまい、栗原郡佐沼城に拠って秀吉軍に一戦を挑んだが敗北、葛西氏は滅亡**した。

 * 晴胤と晴清を同一人物とするが、晴清は伊達氏から守信の養子に入ったもので、晴胤は守信の弟高信が晴清死後に家督を継いで晴胤を名乗ったものであって、年代的にも同一人とするのは当たらない。
** 佐沼城における仕置軍との戦いは、翌年の大崎葛西一揆を混同したものであろう。従って、晴信も戦死、あるいは自刃したということはなく、終焉の地は流浪先の加賀国であったとされる。

■参考略系図
初代清重は、父を豊島常清とするものもある。下記に記した赤字の世系部分は、葛西氏一族とされる江刺氏の世系と類似している。いずれにしても葛西氏の系図にはかなりの混乱がみられる。






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